お伊勢参りのきっかけ

                                黒紋付に袴で意義を正し奉賛金を納めに行く栄楽

     

お伊勢参りのきっかけ

平成二十二年十月二十五日から十一月二十三日まで、一月間かけて江戸のお伊勢参りを体感すべく白装束にわらじ、背負子を背負って日本橋から徒歩でお参りをしました。またその道中、街道筋の神社仏閣、市民センター等十五個所で落語会を行こない、各会場での皆様方のお力添えにより大勢の方々が足を運んでいただきました。一日の平均歩行距離二〇㌔、わらじの使用数二十八足。観客総動員数一一〇〇人。大盛況、大成功のうちに終えることが出来ました。

そして十二月九日、その時の入場料と会場をご提供いただきましたところからのお志。そして知り合った方々から託された施行をお伊勢さんに奉納いたしました。

お伊勢参りのきっかけは生活習慣病でした。まず腎臓に石が出来ました。それを取り除くために仕事を休むことになり、まさしく「ケッセキ」の状態でした。その後、血圧が上がり心臓肥大、通常の一、五倍にまでなり、医者に薬を飲むことを薦められました。この時、四十七歳です。まだ薬に頼よりたくありません。この改善法は体重を減らし、運動をすることだと告げられました。中高年によくある噺でありますが本格的にウォーキングを始めることとなりました。

この頃ちょうど「旅噺し」を稽古していましたが、この噺の基本的な目的地は伊勢でした。これは噺家になる時には知らなかったことでしたが、我々の世界で昔からいわれていることがあります。噺にでてくるものを実際に見たり、食したり、体験すると芸に深みがでてくるというものです。落語「時そば」でそばを食べるシーンがあります。この時演者は今までの中で一番おいしくそばをいただいた時のことを思い浮かべて演じるのです。すると言葉やしぐさにリアリティーがでてくるのです。落語は人の暮らしを描いていますから、見る物全てが研究材料になると言えます。基本に忠実な私はウォーキングをしながら「伊勢まで歩くべきではないか」と思ったのでした。しかしです。伊勢まで歩くというのはそばを食べるのと訳が違います。伊勢までの距離、一一六里、四六四㌔。半端ではありません。

伊勢さんとは縁があります。皇學館大学で神職の資格をとり、二〇〇八年からその母校で落語を中心に「江戸の芸能史」という講義することになりました。歩くことによって現在のお伊勢参りでは味わえないお参りが出来るのではないか。その伊勢参りを授業にいかせるのではないか等々様々なことが頭を駆け巡ります。そのうちこれは自分のためにある旅ではないかと思えてきたのです。天から「やりなさい!このボールを蹴りなさい」とパスを出されているようでした。

今回の旅は第二回目ですが、第一回の旅で想像もつかない、うれしいアクシデントがありました。街道筋で施行がありました。これは見知らぬ方々が私にお金をくださるのです。四国お遍路でそのようなことがあることは知っていましたが、その総額がなんと二六、一一〇円でした。これは当然こちらから要求したものではありません。欲しそうな顔をしていたかもしれませんが、伊勢参りをしているならお金を渡したいというものです。差し出された時どうしようかと考えましたが、昔から噺家の厳しい掟というのがあります。これはとても厳しい戒律です。「噺家は金品を要求してはならないが、下さるものは受け取らなければならない!」というものです。これは大変うれしく、心に体にエネルギーがはいってきました。これはお伊勢参りに対していただいたものです。ですからこの施行と落語会の木戸銭も奉納しようと考えたのでした。題して「栄楽、伊勢路を勧進落語でゆく!」としたのでした。                                 学生時代栄豊満ともに歩く→                                                              

一回目の成功は亡き師匠の後押し!

一回目のお伊勢参りはあまりにも劇的でした。日本橋スタートは十一月四日でしたが師匠五代目三遊亭円楽が間際の十月二十八日に亡くなり、告別式が五日となりました。恩人である師匠の旅立ちですから、見送らずにはいられません。急遽二日遅らせ、六日の出発となりました。

師匠は七十六歳でなくなりましたが、日本テレビ笑点で司会をし、寄席を建て、落語に光をあてました。存分に自分の人生を生き切りました。師匠の死で人生は自らがカリキュラムを決め、その障害を乗り越え、自らを成長させるものだと感じました。師匠の死は私に今度はお前の番だ!精一杯生き切れといわれているようでした。「よし!この旅に全力を傾けよう」という気になりました。ですから告別式の時は泣くどころか武者震いしたのでした。

この「師匠の死」が呼び水になりました。新聞の取材をうけ、破格の大きさで取り上げてくれました。新聞記事の見出しは「円楽師匠、旅路を見守って」「円楽師匠の励まし力に」でした。この記事がテレビの取材となり、静岡市由比の薩埵(さった)峠から五分間の生中継となりました。中継後テレビ局の人にたくさんの人に声をかけられますよといわれましたが、これが大変でした。地元の人は峠で生中継しているのがわかっていますからもうすぐ降りてくると待っているのです。オリンピック選手が行きは誰も見送りがなかったが、メダルを取ると別世界が開けたと良く聞きますが、その気持ちがわかりました。売れるというのはこんな感じなのかと思ったりしましたが、道行く人々が私のことを知っています。うれしいものです。伊勢に着くまで多くの方から「頑張れ!」の言葉をいただきました。このように取れ上げられたのはどう見ても師匠の恩恵なのです。亡くなっても応援して下さっているかと思うとぐぐっと迫ってくるものがありました。

                              

                              

 

噺で笑いと人情の世界を届けたい

十五ヵ所の落語会の内容は江戸のお伊勢参りについて四〇分。笑いの落語、四〇分。そして落語「阿武松」の三〇分。トータル二時間でした。

私の噺家になるきっかけは師匠、五代目円楽の人情噺しで語った「阿武松」を聞いたためでした。落語には親子・夫婦・友人などけっこうな数の人情噺しがありますが、人情とは人を思いやる心です。それは利害で動くものではありません。子供に危険が迫ったら、親は命がけで助けます。思いやりに接すると人はありがたく、心が暖くなります。エネルギーが沸き起こります。またその心遣いをした人も大変な喜びです。「情けは人のためならず」です。

現在芝居落語など古典と称する世界が見直されています。芝居を観劇すると客席はいつもいっぱいで、根強い人気があります。イヤホンガイドの解説者がこの人気の訳を「明治、大正、昭和の始めまで学校で教え、戦後教えなくなったものに義理・人情があります。この義理、人情は損得勘定で動かない。お金で動かないということです。この美しい世界が現代に求められている」といっていました。

この旅で穏やかな笑いと人情の世界を味わっていただきたいと考えました。我々の先祖は神様と仏様を大事にしてきました。その中から物の感じ方、見方、考え方、人を思いやる心・・・そして人情が培われてきたと信じています。このお伊勢参りの旅はこの神仏を大事にする世界を表現し、それを語る旅なのです。

                              

気持ちが通じたお見送り

 

 忘れられないお見送りがあります。歩いての旅ですから天気がよければよいのですが一ヶ月間の長旅ですからそうもいきません。箱根神社での落語会は東京を出て六日目、十月三〇日土曜日午後三時開演でした。箱根神社はここのところパワースポットと紹介され、ご利益をいただきたい、エネルギーをいただきたいというので大勢の方々が例年以上にお参りなさるそうです。特に土曜の三時というのは観客動員に最高の設定でした。しかしです。二週間ほど前から東シナ海に台風が停滞し、大きな被害を出していました。これがとうとう動き出し、勢いをつけて関東に近づいてきました。気象庁の予報は午後三時に最も接近するといいます。お天気レーダーは台風の雲の外輪が見事に箱根の上空にかかっています。大当たりです。当日、まさしく暴風雨でした。落語会の中止も検討されましたが、日程が決まっているため開催ということになりました。

 お客様は危険を返りみずお出でいただくことになりましたが、とてもこのお客様を控え室でじっと待ってはいられませんでした。お迎えすることにしました。最初の落語決死隊は女性二人でした。おかあさんと娘さんといった感じです。うれしくて「ありがとうございます。よくご無事たどりついていただきました。どうしてこの落語会をお知りになったのですか?」とたずねると「宮司の家内です。母です。お世話になります。」お世話になるなんてとんでもございません。こちらがお世話になっています、平身低頭、恐縮しました。宮司さんをはじめ皆さんが電話でお客様を呼んでくだいました。開演の時には三〇人近くの人に集まっていただきました。表は暴風です。うれしくてありがたくて、出番前、とにかく喜んでいただきたいと強く強く思わずに入られませんでした。一生懸命勤めました。無事終了し、皆さんは喜んでくださいました。無事任務を完了といった思いでした。皆様をお見送りしていると宿泊場所と出発時間を尋ねてくれるのでした。

 

翌朝八時に宿を出発です。わらじを履き表に出ると台風も去り、雲の切れ間に青空が見えます。小澤宮司さん、中島権宮司さんがお見送りに来てくださいました。お礼を申し上げ、お別れです。車ではありませんから少しずつ離れていきます。手を振ってくださいます。この別れがたまりませんでした。ありがたい。台風で歩道は杉の落ち葉でアスフャルトが見えません。この落葉を踏みしめながら三嶋に歩をすすめます。すると途中に家の前に人が立っています。これが昨日のお客様なのです。お客様の数が少ないため、顔を覚えてしまいました。皆さんは私が泊まった宿をご存知ですから何分で自分の家の前を通るかが判ります。その時間に合わせてお待ちいただいたのです。少し歩くと又同じようにお待ちいただいていました。何組も施行を渡してくださるのです。昨日開演前の気持ちが伝わったのだと思いました。雨の岡部宿(静岡県岡部町)→                                                     


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